リアコ枠について検討する回(と言いつつ、ほぼ「枠」の話)

アイドルを応援していると、非オタクのみなさまには、「実際にこんな人が近くにいたらいいなあ、お付き合いしたいなあ」という考えでみていると思われがちなんだけど、実際のところ、わたしはそうではないし、みなさんがそういうわけではない。もちろん理想の男性像はこの方!っていうふうに応援されているケースもあるんだけど、大多数がそうとは言い切れない。

わたしはここのところ、セブチのメンバーのインスタに被弾されていた。
いわゆる「彼氏とデートなう」系のお写真だし、恋愛売りはあんまり好きでないわたしでさえ、ものすごく「うわああああああああ」となっていたのです。

そこで、これが俗に言う「リアコなのか?いや違うな?」と自問自答していました。

いろんな人に「リアコの定義ってなに?」「みんなはリアコ枠ってあるの?」と雑に投げかけたら、さすがわたしのおともだち各位は、言語表現能力が的確で長けた方が多いので、わかりやすく説明をしてくださったわけです。

そこから考えをまとめてみました。
そのインスタ投稿をみて、「もし超美人に生まれ変わったら結婚しよう!」と思ったのは事実なのですが、それは自分じゃなくてもいいんです。ドラマでみたいというか...

幼少期から、芸能関係の方々をみて、※ドラマのシナリオみたいなストーリーを思い浮かべて、勝手に配役を決めて遊んでたんですが、その妄想劇場の主人公として抜擢したいだけで、必ずしもリアコじゃないんです!という気づきがありました。

そこではっきりしたのが、そもそもわたしには「枠」がない!!!

すてきなもんはすてきやねん、すきなもんはすきやねん、理由もへったくれもないねん!琴線ががんがん波打って響くからすきなんだよ!っていうことだけで、それを的確に言語化しようとするとおそらく5年くらいかかりそうだから、横に置いておきますが...人間として好き以外の「枠」がない。

リアコについていろいろ考えるより先に、わたしの脳内、「類」とか「型」とか「枠」がないんだなという気づきがありました。だいたいすきなものは、類型でわけづらいものが多いし、そもそも自分がどんな人かを類型で説明するのが不可能。

昨今、「融合」って言葉を使われがちじゃないですか。洋菓子と和菓子の融合とか、クラシック音楽とJazzの融合とか、そんなになんでもかんでも、必ずしも融合する必要なないよなと思うし、お菓子や音楽に細々と枠がなかったら融合とかせんでもいいわけで。でも、人は類型にわけることによって、各々の理解を深めているのかもしれないなと思ったのです。雑多なものを「枠」で捉えないと、捉えづらいから、枠を設けてるのかもしれないなあ。枠があったほうが素早く判断できるもんなあ。

どういう人か理解するためにイメージをつかいがちなのがアイドル業界だけど、そのイメージもある種の「枠」かなと思いました。ジェントルマンって言われたら、ジェントルマンを期待してしまうんだろうな。必要なのか「枠」(また別の問い)

だいたいひとつ考察しようと思ったら、派生して別のところにいくのがわたしです。
ここに書いておくと、わりと意見をくださったりするので、まとまりはありませんが、とりあえず放出しておきます。わたしのブログは、意見の集大成や完成形ではなくて、たたき台だと思っていただけると幸いです。

 

※ドラマのシナリオ妄想ってみんながすると思ってたらそうではないらしい。
その登場人物の家族構成とか好きな食べ物とかパーソナリティとか妄想するのが好きです!!!正解がないから楽しい!!!