オタ活~コロナ禍における在り方の変化②

ブログの書きだし、いつもどうしたらいいのかわからないので、定型をつくろうかなと思ったのですが、「世界のみなさま、おはこんばんちは」しか思いうかばない...

ちなみにアラレちゃんの推しは、皿田きのこちゃんです!!!

ということで今回はコロナ禍における在り方の変化②です。

キーワードは

「mustではなくwant」

脳(思考)って、じぶんのなかに根付いた信念みたいなものに基づいて動いているんだと思うのですが、その信念が不合理だったりするととても脳が疲れるのではないかと思うのです。なにを隠そう(隠してない)20代は気持ち悪いくらい働いていたので、身体が疲れてるんだとずっと思っていたのですが、今思うと「べき」を遂行することで脳が働き続けて完全に疲弊していたんだと最近気づきました。まあ、年齢もそこそこになってくると身体と脳をいかに疲労させないか考えるようになってくる。(なんて合理的!これを成長だと思っているお花畑脳)

オタ活なんて好きなことだから疲れるわけないじゃん!って方もいらっしゃると思いますが、わたしは疲れるもんは疲れる。身体の疲労もあれば脳だって疲れるのだと最近気づきました。

コンサートも

「いかな!(must)」と「いきたい(want)」って同じようで違う。

雑誌も

「読まな!(must)」と「読みたい(want)」もそう。

オタ活からmustをなくそう!が2021のテーマのひとつ。

たからリアタイもできる+したいときしかしないし、できてもしないときもある。それくらいの向き合い方の方が今のじぶんにはあっているなと思ったりしてます。

家事とか仕事とかも「べき思考(must)」をやめました!

家事を担ってる方だと「毎日一汁三菜つくるべき」「健康的な食事を三食食べるべき」「掃除は毎日するべき」こういう誰が決めたかわからん「べき」がいろいろあります。ほんまにその「べき」は必要なのかもわからん「べき呪縛」がいっぱいある。べきを遂行しようとすると叶わなかったときに多少なりとも凹む。「あーできひんかった!」となってしまう。それがストレスや疲れのもとでした。(わたしの場合)もともとポンコツなんだけど、それがなかなか受け止めきれなくてしっかりした人でいるべきと思うことがそれに拍車をかけていたように思います。

行動は同じだけども、「食べるの好きやから一汁三菜食べたいからつくりたい」「一日3食食べてた方が調子がいいから食べたい」「汚いの苦手やから綺麗に掃除したい」

これはやりたいからやる!やりたいことが達成したら達成感も感じるし、できなくても次やろう!と思えるように思います。主婦の大先輩の方がYouTubeで「(料理を)イヤイヤつくるとイヤイヤの味になっちゃうの」とおっしゃっていて、それがとてもわかるなあと思ったのでした。わたしが鶏を焼いただけの料理にかけるソースを実験!!!とめちゃくちゃ楽しんでつくったら、家族が「なんかおいいい!これなんかおいしい!ようわからんけどおいしい」と言ってたので、そういうの(どういうの?)あるよなあと思ったという話でした。