最近感じていること(ちびジュについて)

個人的な一意見なので、ちびジュやちびジュ担を批判するものではないという前提で読んでほしいとおもいます。


ちびジュ担だと思われているわたしが、驚くほどちびジュがみれなくなった!

すきじゃない!というのではなく、みてるのがつらいのだ。きっとわたしのなかにあった、なにかのトラウマが目を覚ましたというか、それに気づいたというか...それの覚書です。


人生のなかでいろんな親子をみてきた。

不思議なもので、こどもたちと先に出会って後日親御さんにお目にかかると、きっとこの方!というのがわかるのが不思議だった。子育てにおいて大切にされていることが子どもを通して伝わってくるような気がしたからだ。ジャニーズJr.の子どもたちをみていても、以前からそういう部分はあった。本人のパーソナリティやアイデンティティから伝わってくる親御さんが大切にされているもの...それはごく自然なことだしなにも気にしていなかった。むしろ、微笑ましく思っていた。(食べ方のきれいさとか、姿勢の良さとか、物腰のやわらかさとか、人の目をみて話をきくとか)


わたしは、「おすきにどうぞ」主義の親に育てられた。どちらかといえば、子ども扱いされずひとりの人として考えを求められたし、行動に責任をもつことを小さいときから課せられていた。スーパー自由人のわりに、いろいろ考えて動くようになったのはそういう環境だったからだろう。いつもじぶんの人生の決定権はじぶんにあった。どこの家庭もそういうもんだと信じて疑わなかった。


学生のときのアルバイト先でこどもを通していろんな親子の生態を知った。「〇〇に進学するのはお母さんの夢なので」「〇〇の仕事につくのがお父さんの夢なので」

わたしは驚いたと同時に、親御さんがやりたいことは親御さんがやればいいのに、なんで子どもにさせるねん!と思った(笑)思春期以前は、自分の意志なのかそうじゃないのかがはっきりしないケースも多い。思春期にアイデンティティが確立していく過程で本当の気持ちに気づいていくんだと思う。

親御さんの夢が子どもの夢になる場合も大いにあるんだけど、その場合は子どもから漂う「やらされてる感」が全くなかった。一方、子ども自身が「やらされてる」と思ってなくても、どことなく自ら動いてないというのは空気感から感じ取れるような気がしていた。


最近、ちびジュがみれなくなった理由のひとつは、やらされてる感センサーが働くようになったからだ。(もちろん全員ではない)本人はまじめに取り組んではいるのに、わたしが「やらされてる感」をキャッチしてしまったんだと思う。本当はそうではないかもしれないけれども...わたしの人生の経験値による感覚的には、警告音が鳴り響いたのだ。かなり大きな音で!


そこをキャッチするきっかけになったのは間違いなく動画投稿だ。今までステージの姿しかみれなかった子どもたち...コロナ禍以降、事務所だけでなくご自宅で動画を撮影をしてUPされる。みていると、100%自力のケース、ちびジュ本人主導でいい塩梅で親御さんが協力されているケース、親御さん主導の香りはするけど本人が自らの意志で取り組んでるケース、やらされてる感満載のケース等々、いろいろある。

やらされていることに気づいたときにこどもは傷つかないのだろうか...と心を痛めている。

でも、だんだん好きになっていくケースやじぶんのやりたいことに変容していくことも大いにあるから、それはそれでOKなんだけど、むずかしいなと思います。


今もそうだけど、お母さんがジャニーズすきだから!という理由の入所はどんどん増えると思う。ジャニオタのこども、ダンス習う率を考えても...

どうかその選択が子どもたちの思いに反したものではないことを願っています。