オタ活~コロナ禍における在り方の変化

コロナ前とオタ活が変化した人もいらっしゃると思う。わたしもそのひとりだ。わたしの場合、コロナだけではなく家族の事情などの物理的なものに影響をうけて、ものの捉え方がじわじわ変化してきているように思う。その記録をしておこうの巻です。

キーワードは
「DOではなくてBE」
なにをするかではなく、どのように存在するか

わたしは対人援助職(広義)なので、DO「する」を意識しがちだ。「人に対してなにができるだろう?なにもできない!無力すぎる」と凹むこともあった。あるとき、「なにもしなくていいよ、そこにいるだけで!」と尊敬してる人生の先輩に言われて、脳内???がめぐりめぐったけどそのときはわからず...おせっかいなおばちゃん属性がちらほら出てきて、どうしても人のためにお役にたちたいと考えがちである。でも最近BEの概念が朧げながらじわじわわかりつつある。そこに存在する(BE)ことの大前提はじぶんととことん向き合うことなんじゃないかな。それでじぶんが心地よい状態でそこに居ること、それがBEへの一歩なのかなと漠然と考えている。

おたくでDOとBEを仮に定義すると、DO=現場にいく!メディア露出をおう!グッズを買う!という活動的であり流動的な行動だとすると、BE=すきでいるというシンプルかつ普遍的なものだ。
わたしはおたくはDOしてなんぼ!と思っていた。
現場がエネルギーの素、現場があればいきていけるみたいな...現場最高!(←これは今でも思う)
コロナやもろもろで今までどおりDOできなくなった人は少なくないと思う。今まで通りDOできないことが心的負担になっておたくをやめるひともいるだろう。できなくなるというのはある意味喪失で、喪失が人のメンタルが揺らぐきっかけになることを専門家は指摘してる。母が「しゃーないもんはしゃーない」とよく言っていて、どうにもならないことは存在すると思ってるけど、りとるの初単独にいけなかったことに対しては病んだ。グループ単独を見届けたらジャニオタをやめよう!という計画も見事に崩れ、軽めに路頭に迷った(笑)

そんなこんなでなんとか春松竹にはいったものの、現場に行けないならオタクをやめようと思った。
わたしがオタクしてても、りとるちゃんのお役にたてないし...と思ったけど、待って!もともとなんの役にも立っていない(笑)...グッズを買ったりはしてるけど、わたしの購入なんて微々たるもんだ。そうか元々役にたってないなら、オタクやめよう!オタクやめるにはTwitterをやめることがいちばんてっとり早い。でもそれは困難だった。わたしにとって、Twitterは大切な居場所のひとつで、リアルなおた友もいれば、お会いしたことはないけどお付き合いの長い方もいらっしゃり、心地のよいコミュニティだ。みんなそれぞれの場所にいらっしゃることに安心している。それをないものにするということはできない。
そういうときに自担ブームがきたりする←いまここな感じです

世論はいろいろある。じぶんの正義が人から見たらそうじゃないし、見方がいろいろあって当然だ。DOしない人はオタクじゃないという意見もあるかもしれないけど、わたしはBEでいこうと思う。
これは今のスタンスです。コロナが落ち着いたら、反動で毎週西にいるかもしれないし、ずーっと現場が疎遠になった後、80歳くらいになって帝劇に毎日いるかもしれないし、先のことはわからない。そのときのじぶんの「快」をえらんでいけたらなと思う。

今のご時世、気持ちがしんどい人も少なくないと思いますが、みなさまが1秒でもハッピーな時間が過ごせますように願ってます。

あらためて思うと、アイドルって究極の対人援助職だよなあ。ジャニーズのみなさまもどうか健やかでいていただきたい!本当に!!!